2016年10月30日日曜日

【ディープ・イサーン・ツアー#1】タッサポーン・トーンヂャンの故郷を訪ねて@ローイエット(2)

◆タムブンの準備をするタッサポーンとバーン・トーンヂャンの人たち


引き続き、タッサポーン・トーンヂャンを訪ねてローイエットへ行った時の話の続きです。

【ディープ・イサーン・ツアー#1】タッサポーン・トーンヂャンの故郷を訪ねて@ローイエット(1)


翌22日は朝8時にタッサポーンが車で僕を宿まで迎えに来てくれました(歌手に迎えに来させる素人って、どんな分際なんだかw)。

彼女の運転する車で早速バーンノーングンのバーン・トーンヂャンへと向かいます。

車の内ではこれからタムブンの事など話してくれたタッサポーンなんですが、その時歌を1曲聴かせてくれました。歌ってくれたのが、先日のプミポン国王に捧げる歌特集で取り上げたクルー・サラー作の曲「ラオ・スー・ラーン・ファン」でした。

たぶんこの歌をタッサポーンが人前で歌うのは初めてのはずです。しかも、聴いているのは自分ひとりという贅沢な状況。

さらに、朝早くに、しかも車を運転しながらにも関わらず、その歌声の良さと音の確かさに、彼女の歌唱力の高さを改めて実感しましたね。


◆ทัศพร ทองจันทร์(タッサポーン・トーンヂャン)/เล่าสู่หลานฟัง(ラオ・スー・ラーン・ファン)



ただ、裏話をしてしまうと、このアップした動画はテイク2でありまして、テイク1の方はちょっと上手くいかなかったので、撮り直しという事になりました。一応、この動画をアップする際は、タッサポーン自身に許可をもらっています。

宿からバーン・トーンヂャンがあるバーンノーングンまでは10~15分くらいだったでしょうか。到着して朝食をご馳走になっていると、まもなくタムブンするものを運び出す作業が始まりました。

沢山のものを皆で手際よく運び出します。しかし、枕がやたら沢山あるのは何故なんでしょうね。







◆カムグン・トーンヂャン先生の写真を持つサーティット・トーンヂャン




この日のセレモニーの意味は、実は僕もはっきり掴めていないのですが、カムグン先生に音楽を教わった歌手達が、その感謝をタムブンという形で恩返しするという事ではないのかと思います。

荷物を一通り運び出した一行は、その後は皆でお寺まで大行進となりました。

音楽一門のタムブンですので、当然ただ歩くだけではなく、ケーンをバックにサーティット・トーンヂャンとメーン・マニーワンが歌い、それにあわせて踊りながら移動するという、普段のコンサートでは味わえないスペシャルな空間が展開されていました。

しかし、写真や動画を見直してみると、みんな本当に楽しそうな笑顔をしていて、しんみりした雰囲気は微塵もありません。いかにもタイらしい光景でした。


◆バーン・トーンヂャンからお寺までの移動の様子



バーン・トーンヂャンから近くのお寺「ワット・サゲーオ(วัดสระแก้ว)」までは、普通に歩けば5分もかからない距離なのですが、そこを歌い踊りながらの移動だったので、15~20分くらいかけての移動でした。

到着すると、今度はタムブンの品を手際良く運び入れます。普段はのんびりしているタイ人ですが、こういう時の仕事の早さは見事です。







◆あのでっかい銅鑼も運び入れました。






タムブンの品を運び入れ終わりますと、僧侶の方々のありがたい説法と皆でお経を唱えます。

このお経(結構長い)はタイ語ではなくパーリ語をそのまま読み上げているのですが、みんな何も見ずにスラスラ言えるのですから大したものです。さすが仏教国タイ。







そして最後に、サーティット・トーンヂャンが立ち上がり、少し話をした後、モーラムを歌い始めました。

ステージで歌われるいわば「商品」としてのモーラムとは違い、生活に密着した、民俗音楽としてのモーラムに初めて触れることの出来た初めての瞬間でした。




◆サーティット・トーンヂャンによるモーラム



◆タムブンされた品々





◆サーティット・トーンヂャンとゴン・フアイライのプロデューサー、ゴップさん。ゴップさんもバーン・トーンヂャンと縁の深い人です。


セレモニーが終わった後は、皆、三々五々解散していきました。

自分もタッサポーンと一緒にだらだらとバーン・トーンヂャンに戻り、少し食事をご馳走になった後、バーン・トーンヂャンを後にしました。

ここに来る前までバーン・トーンヂャンという所は、「タッサポーンが歌を勉強した場所」くらいの認識しかなかったのですが、イサーン音楽の歴史において重要なポジションにいるサーティット・トーンヂャン、今やトップ歌手となったメーン・マニーワン、そしてタイの音楽界を席巻ゴン・フアイライを発掘したゴップさん、とルークトゥン・モーラム界に於けるトップ歌手を何人も輩出して来た名門である事を、この旅で初めて知りました。

そして、一門において大切なセレモニーに参加することが出来たのは、ルークトゥン・モーラムの一ファンとしては、とても貴重な経験となりました。

2016年10月27日木曜日

【ディープ・イサーン・ツアー#1】タッサポーン・トーンヂャンの故郷を訪ねて@ローイエット(1)

◆タッサポーン・トーンヂャン@バーン・トーンヂャン(ローイエット県セーラプーム郡)


10月20~23日の4日間でイサーンに行ってきました。

プミポン国王の崩御から1週間後という微妙な時期でしたが、もともとこの旅行は3ヶ月前から計画していたものでした。

本当は4日間の内3日はコンサートを観に行くつもりでしたが、先の国王崩御でタイ全土のコンサートはすべてキャンセルとなってしまいました。

コンサートが無いならイサーンへ行くのも止めようかと思いましたが、ずっとバンコクに居るのも息苦しいので、気分転換も兼ねてイサーン行きは予定通り実行することにしました。

この時期にイサーンへ行く計画を立てていた理由は、元々10月21日にタッサポーン・トーンヂャンが出るコンサートがローイエットで行われる予定だったからです。


◆10月21日に開催されるはずだったバーン・トーンヂャン主催のコンサート


当然、このコンサートも中止になりました。

自分は事前にこのコンサートに行くことをタッサポーンに知らせていた事もあって、直前に本人からも中止の連絡が来ました。

その時、タッサポーンに21日はどうしているのか聞いたところ、ローイエットに帰るという事でしたので、それならばローイエットでタッサポーンに会えればと思い、本人とも約束をして現地で会うことになりました。

実はちょうど1年前の2015年10月に、ローイエットでゴン・フアイライのコンサートを観に行った時、タッサポーンから「今度は私の生まれ故郷に来てね」と言われていたので、今回のイサーン行きはその約束を果たす為の旅行でもありました(本人は覚えてないでしょうがw)。


◆2015年10月12日、ローイエットのマイタイ・ホテル前にて。両サイドはタッサポーンの仲の良い友達。


タッサポーンが出身地は、ローイエットの中心部から東に位置するセーラプーム郡という所にあります。中心部から車で行くと30~40分ほどで到着する場所です(ローカルバスだと1時間ちょっと)。

セーラプームはヤソートンとの県境に接していて、かなり大きな面積になっています。

街中は大きなスーパーマーケットなどもあって、そこそこ賑やかなのですが、タッサポーンの実家があるバーンノーングンという村はは、街中からかなり奥に入って行った場所にありました(予定されていたコンサート会場もすぐ近くでした)。


◆セーラプーム郡の位置。



タッサポーンとは21日の昼にセーラプームの街中で待ち合わせました。その後、彼女の運転する車に乗せてもらい、到着したのはバーンノーングンにある彼女が歌を学んだバーン・トーンヂャンでした。

◆バーン・トーンヂャン(บ้านทองจันทร์)



バーン・トーンヂャンはモーラム歌手のカムグン・トーンヂャンの事務所で、それだけでなく歌を教える教室も兼ねていたようです。

◆カムグン・トーンヂャン(คำเกิ่ง ทองจันทร์)

◆カムグン先生とタッサポーン


◆バーン・トーンヂャンに飾られていた若かりし頃のカムグン先生の写真


◆ลำกลอน(ラムグローン)/อ.คำเกิ่ง ทองจันทร์(カムグン・トーンヂャン)


ここで歌を学んだ歌手は、タッサポーンをはじめ、ルークトゥン・モーラムの歴史に於いても重要な歌手であるサーティット・トーンヂャン、そして現在はトップ歌手となったメーン・マニーワンもカムグーン・トーンヂャン先生に学んだようです。

また、過去のバーン・トーンヂャンの映像を見ると、エー&オー・ポッチャナーもこのバーン・トーンヂャンと関わりが深いようです。


◆サーティット・トーンヂャン(สาธิต ทองจันทร์)


◆サーティット・トーンヂャンとタッサポーン、バーン・トーンヂャンのスタッフの面々


◆タッサポーンとメーン・マニーワン


21日に行われるはずだったコンサートは、このバーン・トーンヂャンに縁の深い歌手達が集まっての、カムグーン先生を追悼する意味合いもあったようですが、それが中止になってしまった事は本当に残念です。

しかし、翌22日の近くのお寺へのタムブンは予定通り行われるようで、この日はその準備を朝からしていたようです。

自分が到着したのは夕方近かったので、準備の方はほぼ終わっていて、バーン・トーンヂャンの庭では皆で食事をしたりお酒を飲んだりと、すっかりまったりしている状況でした。


◆お寺にお供えされたもの。僕もわずかながらタムブンしましたよ。




そんな訳で、この日は食事などをご馳走になって、小1時間ほどでタッサポーンに宿まで送ってもらいました。

翌日は8時過ぎからバーン・トーンヂャンのスタッフ総出でセレモニーが始まったのですが、非常に貴重な体験が出来ました。

その時の模様は次回お伝えします。

2016年10月25日火曜日

【次の世代へ歌い継ぎたい】ルークトゥン歌手達が歌う、亡きプミポン国王へ捧げる歌15選+スペシャル動画

◆ขอเป็นข้ารองพระบาททุกชาติไป(コー・ペン・カー・ローン・プラッバート・トゥック・チャート・パイ)=生まれ変わっても国王の元に生まれたい


10月13日の悲しみの知らせから約2週間ほど経ちましたが、未だ悲しみの空気がタイ全土を覆っています。

10月22日にはサナームルアン(王宮前広場)に約10万人の国民が集合しての大規模なプミポン国王追悼セレモニーが開催されました。


◆上空から見た10月22日のサナームルアンの様子


自分も最後のお別れをしに10月18日に王宮へ行きましたが、周辺は父の日の12月5日並に激渋滞。ワット・プラケーオからサナームルアンにかけては深夜まで多くの人が国王との別れを惜しむかのように残っておりました。


◆10月18日23時近くの王宮周辺の様子(撮影:筆者)


プミポン国王の死に悲しんでいるのは歌手達も同じです。

そして、彼らは歌う事が本業ですので、その悲しみを歌に託して、国王との別れを惜しんでいます。

そんな歌手達が歌った国王へ捧げる歌を、今回は集めてみました。

かなり沢山の数があって全部は拾いきれませんので、このブログの趣旨であるルークトゥン歌手が歌っているものに絞って、10月25日の時点で管理人が見つけた中から15曲をピックアップして紹介します。

また、同じ曲を複数の歌手が歌っていますので、曲数としては12曲になります。

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国王死去の知らせから、かなり早い段階で追悼の歌を公開したのはペット・サハラットでした。

この曲は早く作られたというだけでなく、個人的には数あるプミポン国王へ捧げる歌の中でも最高だと思っている名曲です。

ソングライティングのクオリティーの高さだけでなく、とても分かりやすい言葉を使うことにも配慮して作られていますし、バックトラックもしっかり仕上げられていて、仕事の早さにも関心してしまいます。

なお、宣伝になってしまいますが、この曲の訳詞をタイのポータルサイト「タイランドハイパーリンクス」で自分が寄稿しているコラム「音楽天国タイランド」にアップしてありますので、そちらもご覧いただければ幸いです。

◆音楽天国タイランド:第27回 プミポン国王に想いをはせる歌「ペット・サハラット/あなたを思うと涙が止まらない」


【1】เพชร สหรัตน์(ペット・サハラット)/น้ำตาไม่หยุดไหล ชาวไทยคิดถึงพ่อ(ナムター・マイ・ユット・ライ、チャウ・タイ・キットゥン・ポー)=あなたを思うと涙が止まらない



【1】の曲をペットの奥方であるタカテーンもカバーしています。

キーが違うせいも、ペットが歌うオリジナルとはまた違う雰囲気があります。さらにスライド写真が悲しみを増長させますね。


【2】ตั๊กแตน ชลดา(タカテーン・チョンラダー)/น้ำตาไม่หยุดไหล ชาวไทยคิดถึงพ่อ(ナムター・マイ・ユット・ライ、チャウ・タイ・キットゥン・ポー)



次の曲は追悼の意味が込められている訳ではなく、国王の容態悪化が伝えられていた頃に励ます意味で作られた曲です。

ですので、ここにまとめた他の曲とはかなり雰囲気が違うのですが、グー・ケーンらしい独特の国王への愛情表現で、個人的には結構好きです。


【3】กู่แคน School(グー・ケーンSchool)/จอมใจแห่งแผ่นดิน(ヂョームヂャイ・ヘン・ペンディン)=大地に愛された人



モッデーン・ヂラーポンも、いち早く追悼の歌に着手した歌手の1人です。

彼女は自身のアルバムでもプミポン国王へ捧げる歌を歌っているという事もあって、国王への愛情を感じさせる1曲に仕上がっていると思います。

一緒に歌っているのはシアン・イサーンのカムモート・ポンクンデートです。


【4】มดแดง จิราพร(モッデーン・ヂラーポン)feat.คำมอส พรขุนเดช(カムモート・ポンクンデート)/ขอเป็นข้ารองบาททุกชาติไป(コー・ペン・カー・ローン・プラッバート・トゥック・チャート・パイ)=生まれ変わっても国王の元に生まれたい



ここ最近あまり接する機会がすくなくなっていたダーオ・チャリターですが、彼女もやはり国王の死を悲しんでいる歌手の1人です。

この曲は国王の追悼歌というだけでなく、ダーオにとっても久々の新曲になりました。

こうして改めて彼女の歌をじっくり聴いてみると、やはり逸材だという事を実感させられますね。


【5】ดาว ชลิตา(ダーオ・チャリター)/อาลัยพ่อหลวง(アーライ・ポー・ルアン)=国民の父を偲ぶ



モーラム兄貴、マイタイ・フアヂャイシンも国王へ捧げる歌を歌ってくれています。

哀愁を帯びたマイタイの歌声が、悲しみを物語っているようです。


【6】ไหมไทย หัวใจศิลป์(マイタイ・フアヂャイシン)/เรื่องเล่าของพ่อ(ルアン・ラオ・コーン・ポー)=父にまつわる話



続いてはチャルームポン・マーラーカム先生がロム・ローン・スタイルで、タイ人にとっての大切な存在をなくしてしまった悲しみを歌ってくれています。


【7】เฉลิมพล มาลาคำ(チャルームポン・マーラーカム)/แผ่นดินร้องไห้อาลัยพ่อหลวง(ペンディン・ローンハイ・アーライ・ポー・ルアン)=国王を亡くし大地が泣いている



トップラインの若手歌手筆頭のナンシーは、中部タイ出身らしい正統派ルークトゥンスタイルで、国王を偲んでいます。


【8】แนนซี่ ท็อปไลน์(ナンシー・トップライン)/เพื่อพ่อหลวงไทย(プア・ポー・ルアン・タイ)



次も正統派スタイルですが、最近はこの手の曲を歌わなくなった人ですので、新鮮な印象を受けますね。


【9】กระแต(クラテーR-Siam)/ใต้ร่มพระบารมี(タイ・ロム・プラバーラミー)=国王陛下の翼の下で



ほとんどの追悼曲はプミポン国王を「父」として例えていますが、こちらのグン・スティラートの曲は国王を「英雄」として例えている点で、他の曲とは若干違ったアプローチをしています。

アレンジはいたって正統派ですが。


【10】กุ้ง สุธิราช(グン・スティラート)/ฮีโร่(HERO)



カヴァーしている歌手がダントツに多いのが、次のクルー・サラーが作った曲ではないでしょうか。

すでにターイ・オラタイ、マイムアン、カーオティップ・ティダーディンなどのヴァージョンが作られていますが、これからもGrammy Goldの歌手を中心にカヴァー曲がどんどん発表されると思います。

全部のカヴァーを取り上げるスペースはないので、ここでは現在若手歌手の中でも特に注目されている、ポピー・プラッチャヤーラックのカヴァーをピックアップしました。


【11】สลา คุณวุฒิ(サラー・クンナウット)/เล่าสู่หลานฟัง(ラオ・スー・ラーン・ファン)=孫の代まで語り継ぐ



【12】ป๊อปปี้ ปรัชญาลักษณ์(ポピー・プラチャヤーラック) /เล่าสู่หลานฟัง(ラオ・スー・ラーン・ファン)



それと、この「ラオ・スー・ラーン・ファン」のカヴァーの中で個人的に好きなのが、ヌット・プラトゥムトーンのヴァージョンです。

イサーンらしいケーンをフューチャーしたアレンジと、丁寧に作られたMVが印象的です。


【13】น้องนุช ประทุมทอง นิลวัน(ヌット・プラトゥムトーン)/เล่าสู่หลานฟัง(ラオ・スー・ラーン・ファン)



最後の2曲は、このプミポン国王追悼曲の中でも極めつけといっても過言ではないでしょう。

まずはルークトゥンの伝説的歌手達が勢ぞろいして、レーで国王を追悼しています。

参加しているのはチャーイ・ムアンシン、ワイポット・ペットスパン、スナーリー・ラーチャシーマー、クワンヂット・シープラヂャン、シリントラー・ニヤーゴン、カッタリヤー・マーラシー、トサポーン・ヒマパン、ブントーン・コンヌム、などなどです。

スケールの大きさは他の追随を許さないレベルですし、数々の曲の中でも最もタイらしい雰囲気を感じさせる曲になっていると思います。


【14】V.A./เพลงแหล่เฉลิมพระเกียรติ ราชาแห่งราชัญ(プレーン・レー・チャルーム・プラギアット:ラーチャー・ヘン・ラーチャン)=タイ音楽界最高峰の歌手達によるレー:王の中の王



そして、こちらもタイ音楽界の最高峰による、プミポン国王を偲ぶ歌です。

歌っているのは人間国宝のチャウィーワン・ダムヌーン。日本の民俗音楽シリーズでモーラムと言えば、大抵この人が歌っているというくらい、日本人にとっても良く知られた存在の人です。

チャルームポン先生と同じくラム・ローンのスタイルで、国王への思いを切々と歌っています。

歌い始めてからしばらくして、徐々に声が震えだしてしまうチャウィワーンですが、途中でとうとう涙を堪えきれず、マイクの前から離れてしまう場面が印象的です。


【15】ฉวีวรรณ ดำเนิน(チャウィーワン・ダムヌーン)/ลำอาลัยพ่อหลวงของปวงชนชาวไทย(ラム・アーライ・ポールアン・コーン・プアン・チョン・チャウタイ)=タイ全国民の国王を偲ぶラム



ラストにオマケのスペシャル動画を一つ。

こちらはタッサポーン・トーンヂャンがクルー・サラーの曲を歌っている動画なんですが、これは当ブログ管理人である自分が撮影しました。

先日、ローイエットにタッサポーンを訪ねて行った時に、彼女が車の中で歌ってくれたものを撮影したものです。

運転しながら歌っているものの、さすがの実力の持ち主。沢山あるこの曲の中でも、ぶっちゃけダントツに良いと思います。

自分の為だけに歌ってくれているという意味でも、スペシャルな動画です。


【Bonus Track】ทัศพร ทองจันทร์(タッサポーン・トーンヂャン)/เล่าสู่หลานฟัง(ラオ・スー・ラーン・ファン)



と、一気に15曲(ボーナス・トラックを含めると16曲)を取り上げましたが、プミポン国王を偲ぶ歌はもちろんこんなものではありません。

他にも沢山ありますし、これからもまだまだ作られるでしょう。

プミポン国王という存在は、まさにタイ人の心そのものという事が、ここからも充分感じ取れるのではないかと思います。


2016年10月20日木曜日

【ルークトゥンモーラム通信特別編】音の消えた微笑の国・・・歌手たちそれぞれの10月13日

◆王宮前広場向かいのサーン・ラック・ムアンに設けられたプーミポン国王の肖像画


この日は近年のタイに於いて、最も大きな出来事になったに違いありません。

すでに多くの方がご存知のように、10月13日15:52にタイのプーミポンアドゥンヤデート国王陛下(以下プーミポン国王)が崩御されました。88歳でした。

今さら説明する必要は無いと思いますが、タイの人々のプーミポン国王への敬愛ぶりは絶大でした。様々な不安定要素があるこの国のバランスは、プーミポン国王によって支えられていたと言っても過言ではありません。

その国王の死の知らせは、この国から色と音を一気に消し去りました。

崩御の発表がされた直後に見た上空からのバンコクの景色は、信じられないくらい暗く感じたものです。


◆プーミポン国王崩御の発表があった直後の19:00過ぎのバンコク上空からの景色。いつもはネオンやサインボードが煌々と輝いていて、かなり明るいのですが・・・。


普段は色んなBGMがぐちゃぐちゃに交じり合っているバンコクの繁華街は、この瞬間を境に突然生活音しかしない静かな街へと変わりました。

10月9日頃から国王の容態不安定情報が出はじめていて、「国王の健康を祈りましょう」という事でピンクの色の服を着たりと、タイ中で国王の回復を祈っておりましたが、その願いも虚しく、13日の悲しい知らせとなってしまいました。

当然、予定されていた10月13日以降のタイ全土のコンサートはすべてキャンセルされました。

政府からは30日間の興行は控えるようにとのお達しがあったらしく、その日の深夜には「すべてのモーラム楽団は1ヶ月間興行を控える」とのアナウンスが出ました。


◆「すべてのモーラム楽団は1ヶ月間興行を控えます」というアナウンス


歌手達も一様に衝撃を受けていたようです。SNSでフォローしている歌手たちの写真も見る見るうちに色が無くなっていきました。

そんな彼らの10月13日前後の様子をまとめてみました。

まずはゴン・フアイライ。こちらは13日以前の写真で、容態が思わしくないと伝えられたプーミポン国王の回復を願い、シリラート病院前で祈る姿を撮影したものです。


◆シリラート病院前で国王の回復を祈るゴン・フアイライ


10月18日はGrammy Goldの歌手達が揃ってワット・プラケーオに記帳に訪れたようです。

◆グラミービルでのGrammy Goldの歌手達


◆記帳に訪れたターイ・オラタイ


◆パオワリー・ポンピモンと彼女の父と母


◆ラチャノック・シーローパン


◆記帳をしているラチャノックとアーン・ザ・スター


14日から敬愛する国王に最後のお別れを言う為に、王宮周辺にはタイ国民が大挙して訪れ、周辺が大渋滞が発生しています。

そこで登場したのが、無料で送り迎えをするモーターサイ(バイクタクシー)。そのモーターサイの運転手にこんな人がいたそうです。


◆無料モーターサイ運転手のヌット・ウィラワーン(R-Siam)


◆王宮に献花に訪れたティック・アンチャリー


王宮周辺ではフリーのモーターサイだけでなく、無料で飲み物や食べ物を配るボランティアも沢山います。

10月17日にはブア・ガモンティップやスーパー・ヴァレンタインなどのトップライン所属歌手達が、王宮前広場で飲み物を配っていたようです。

また、Grammy Goldのタック・ワチャラゴンもレスキューとして、王宮周辺を訪れていました。


◆無料の飲み物を配るブア・ガモンティップとレスキューのタック・ワチャラゴン


プーミポン国王の崩御は音楽界にも大きな衝撃を与えました。

そして今、多くの歌手達が亡き国王への思いを託した曲を作り、次々と発表しています。

次回は、それらの曲を特集します。


◆10月18日、王宮前広場にて。