10月20~23日の4日間でイサーンに行ってきました。
プミポン国王の崩御から1週間後という微妙な時期でしたが、もともとこの旅行は3ヶ月前から計画していたものでした。
本当は4日間の内3日はコンサートを観に行くつもりでしたが、先の国王崩御でタイ全土のコンサートはすべてキャンセルとなってしまいました。
コンサートが無いならイサーンへ行くのも止めようかと思いましたが、ずっとバンコクに居るのも息苦しいので、気分転換も兼ねてイサーン行きは予定通り実行することにしました。
この時期にイサーンへ行く計画を立てていた理由は、元々10月21日にタッサポーン・トーンヂャンが出るコンサートがローイエットで行われる予定だったからです。
◆10月21日に開催されるはずだったバーン・トーンヂャン主催のコンサート
当然、このコンサートも中止になりました。
自分は事前にこのコンサートに行くことをタッサポーンに知らせていた事もあって、直前に本人からも中止の連絡が来ました。
その時、タッサポーンに21日はどうしているのか聞いたところ、ローイエットに帰るという事でしたので、それならばローイエットでタッサポーンに会えればと思い、本人とも約束をして現地で会うことになりました。
実はちょうど1年前の2015年10月に、ローイエットでゴン・フアイライのコンサートを観に行った時、タッサポーンから「今度は私の生まれ故郷に来てね」と言われていたので、今回のイサーン行きはその約束を果たす為の旅行でもありました(本人は覚えてないでしょうがw)。
◆2015年10月12日、ローイエットのマイタイ・ホテル前にて。両サイドはタッサポーンの仲の良い友達。
タッサポーンが出身地は、ローイエットの中心部から東に位置するセーラプーム郡という所にあります。中心部から車で行くと30~40分ほどで到着する場所です(ローカルバスだと1時間ちょっと)。
セーラプームはヤソートンとの県境に接していて、かなり大きな面積になっています。
街中は大きなスーパーマーケットなどもあって、そこそこ賑やかなのですが、タッサポーンの実家があるバーンノーングンという村はは、街中からかなり奥に入って行った場所にありました(予定されていたコンサート会場もすぐ近くでした)。
◆セーラプーム郡の位置。
タッサポーンとは21日の昼にセーラプームの街中で待ち合わせました。その後、彼女の運転する車に乗せてもらい、到着したのはバーンノーングンにある彼女が歌を学んだバーン・トーンヂャンでした。
◆バーン・トーンヂャン(บ้านทองจันทร์)
バーン・トーンヂャンはモーラム歌手のカムグン・トーンヂャンの事務所で、それだけでなく歌を教える教室も兼ねていたようです。
◆カムグン・トーンヂャン(คำเกิ่ง ทองจันทร์)
◆カムグン先生とタッサポーン
◆バーン・トーンヂャンに飾られていた若かりし頃のカムグン先生の写真
◆ลำกลอน(ラムグローン)/อ.คำเกิ่ง ทองจันทร์(カムグン・トーンヂャン)
ここで歌を学んだ歌手は、タッサポーンをはじめ、ルークトゥン・モーラムの歴史に於いても重要な歌手であるサーティット・トーンヂャン、そして現在はトップ歌手となったメーン・マニーワンもカムグーン・トーンヂャン先生に学んだようです。
また、過去のバーン・トーンヂャンの映像を見ると、エー&オー・ポッチャナーもこのバーン・トーンヂャンと関わりが深いようです。
◆サーティット・トーンヂャン(สาธิต ทองจันทร์)
◆サーティット・トーンヂャンとタッサポーン、バーン・トーンヂャンのスタッフの面々
◆タッサポーンとメーン・マニーワン
21日に行われるはずだったコンサートは、このバーン・トーンヂャンに縁の深い歌手達が集まっての、カムグーン先生を追悼する意味合いもあったようですが、それが中止になってしまった事は本当に残念です。
しかし、翌22日の近くのお寺へのタムブンは予定通り行われるようで、この日はその準備を朝からしていたようです。
自分が到着したのは夕方近かったので、準備の方はほぼ終わっていて、バーン・トーンヂャンの庭では皆で食事をしたりお酒を飲んだりと、すっかりまったりしている状況でした。
◆お寺にお供えされたもの。僕もわずかながらタムブンしましたよ。
そんな訳で、この日は食事などをご馳走になって、小1時間ほどでタッサポーンに宿まで送ってもらいました。
翌日は8時過ぎからバーン・トーンヂャンのスタッフ総出でセレモニーが始まったのですが、非常に貴重な体験が出来ました。
その時の模様は次回お伝えします。
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